インドネシア・ジョグジャカルタの被災地でのリサーチ

インドネシア・ジョグジャカルタでの被災地リサーチについて紹介します

ジョグジャカルタ・カソンガン村

インドネシアの中部ジャワにある特別州であるジョグジャカルタは、王宮文化の残る面白い街で、日本でいうところの京都のような古き良きが残る観光地です。
南部の方にカソンガン村と呼ばれるエリアがありますが、陶芸を中心とした手工芸が有名な街です。

家の中の内職として行う陶芸づくり

2006年中部ジャワ島中部地震

2006年5月27日午前5時53分58秒に、インドネシアのジャワ島中部で発生したマグニチュード6.3の地震が発生し、この辺りの住宅は沢山崩壊しました。
インドネシアでは木材の価格高騰が起こっており、最近は庶民の家はほぼすべてコンクリート・レンガ造になっていますが、うまく施工されていないことが多かったことも手伝って、大きな被害を引き起こしてしまいました。(単純に柱が入っていなかったり、鉄骨が繋がっていなかったり、壁が十分に入っていなかったり・・・)

被害マップ
壊れた住居(住民のアルバムより)

コアハウスについて

そこで、ガジャマダ大学(ジョグジャカルタにあるインドネシアで一番古い大学)の教授であるイカプトラさんは、コアハウスというプロジェクトをカソンガン村で立ち上げました。
コアハウスのコンセプトは小さく作って、後々拡張する。小さく作る部分は政府等の助成金を使い、後々の拡張は住民主導で行う、というものです。
日本では仮設住宅から引っ越したら、使った後の仮設住宅はゴミになってしまいますが、この考え方を使うとそのまま資源として利用できます。また、とにかく早く建設ができることも大きなメリットでした。

コアハウスの1セットは3×6の内部空間と、全面についたテラスです。
イカプトラ教授は、こんな普通のデザインのプロジェクトが有名になってしまって、自分のデザインはあまり取り上げられないんだよね、といつも不服そうでした。笑
デザインというよりも、構造的に強く、安いということが優先されました。

私がプロジェクトに入る前に、既に一軒一軒の増築の仕方はイカプトラ教授により調べられていましたが、住民の方々は各々増築を進めていることがわかります。

コアハウスのファサード

全て実測して全て描く

私が行ったのは、町内会の一つのエリアを全て実測して、平面図に起こすというものでした。部屋の中の家具の位置や、外に植わっている植物や、動物たち、井戸、洗濯物の位置、まで記入していきました。(下図参照)
普通の建築リサーチでは、建築、つまり柱や壁、床の仕上げ、などしかスケッチしないことが普通なのですが、もう少し生活がわかるように描きたいと思っていました。

この作業をするとなると、全ての家の、全ての部屋に入らせてもらう必要があります。
交渉をするのがまず大変でした。その大きな理由は、私がその時全くインドネシア語ができなかったからです。
通訳は使えないの?と思われるかもしれませんが、建築も理解していて、英語も私と同じレベルで、手伝ってくれる人、というのはなかなか見つからず、結局は自分がどうにかするしかない!と、辞書を片手に体当たりしたのでした。

そうして完成したのが以下の平面図ならぬ、連続平面図です。完成するころには、住民全員の顔を知っているし住民の方々も私の顔を知っている、住民の誰よりもこの地域の隅々がどんな様子かが頭に入っている、そんな状態になりました。この図面を分析し、修士論文としました。

調査の日々

このページでは、論文の内容というよりも、私の調査の日々をお伝えしたいと思います。

イスラム教の勉強をする会

おばちゃんたちのことをインドネシア語ではIbu-ibuと言います。
このエリアには沢山の住民の会合が開かれていましたが、女性だけが集まる会合も頻繁にあり、そこで交流を深めることで、どんどんと家の中に入れてもらうことができました。
私が日本に帰る2日前の会合で、最後の一軒のママに会合で会うことができて、ギリギリ間に合ったのでした。

断食月のブカプアサ=Break Fastの時間にモスクに行ったら、私にもごはんが振る舞われました。(ちゃんと断食している日しか行かなかったですけどね)

屋台が家の前まで来るので、わざわざ買い物に行かなくてもごはんにありつけます。
バイクで日用品を売りに来る人がいたり、おばあちゃんが野菜をさげて売り歩いていたり、道端がお店になるのが面白くて、わくわくしますよね。

近くの田んぼから牛の餌をもってくるオジサンはテロリストみたいにターバンを巻いていました笑。
とにかく太陽が強烈なので、私のような慣れていない人間は1時間も外にいるとばててしまいます。

最近赤土はよそから買ってるみたいですが、この混ぜている砂は近くの川から掘ってもってきます。
私も手伝ってふみふみしてました。

陶芸をしていると思いきや、近くの木からもいだJeruk Bali(バリみかん)を剥いているところです。
売ってるものより全然美味しくて、さいこーでしたね。

野焼きで作るテラコッタ。家と家の隙間にこんな焼き場が作られていました。

大量の雨が降って、あたりは一瞬でプチ洪水に。こんな状態なら私の調査も中止になります。
誰かの家でゴロゴロ。みんな心が広いので、私がゴロゴロしだしたら、枕をボンと投げてくれます笑。
ゆるい感じが大好きでした。

誰かの法事に集まった男性たちですが、めちゃくちゃおしゃれなおじじ達です。渋い、渋いよ。
派手な布を身に着けていても、様になるのって、不思議。皆それぞれおしゃれなんです。

法事のお土産にはこんなものが配られます。米、砂糖、卵、お茶、袋めん!
米と砂糖と卵が基本なのかな?どんな意味があるのか、誰かに質問してみたいですね。

すいすい家を直すおじさん、竹とかをうまく使って、かなりカジュアルに施工します。

鳩のレースに興じるオジサン達。どういうルールなのか、私にはよく分かりませんでした笑

ヤギたちはときどき小屋から出されて、食べ物をさがしに。
車がほとんど通らないので、好き勝手できますね。

大人数のための料理をするときは、外にはったテントがキッチンになります。
薪ストーブのストーブの部分は、もちろんこの辺で作った陶器を使います。

衝撃の、家の中にあるお墓。これ、土葬だよね、大丈夫?
この感覚を理解するのが、私にはまだまだできません。

とにかく家の前のテラスが心地よくて、だいたいこういうところで座っていました。

そういえば、仏壇を作っているお兄ちゃんもいたなあ。
仏教のことはよく分からないんだけど、なんとかっていう宗派のものなんだーって、言ってました。

ビニールシートをその辺にある木にむすびつけたら立派なテントに。
この写真は犠牲祭のときですが、この下で肉を解体していました。肉を解体するまでが男性陣の仕事、調理をするのが女性陣の仕事でした。

最近のアップデート 2020.01

イカプトラ教授などが参加する、Earth Manual Projectの展覧会が2020年1月にジョグジャギャラリーで開かれました。
私は、大学生の展覧会Visitのときに、少しだけ解説のお手伝いをしました。

槻橋先生の失われた街
坂茂さんの紙の間仕切りシステム
コアハウスの展示(小さいな笑)

まとめ

災害時のために、家や建物の構造が強いことも大事ですし、政府の支援や、医療支援をするNGOもとても大事です。 ですが、それ以上にコミュニティの強さ、普段からお互いに助け合うことの大切さを感じました。
インドネシアのジョグジャカルタの村では、普段から皆がコミュニケーションをして地域社会の結束を強くしています。インドネシア語ではゴトンロヨンという単語があるほど、地域の助け合いが普段から行われています。
そういった住民の実践を目の当たりにして、自分の常識が揺さぶられる経験は、私にとってすごく貴重なものとなりました。
インドネシアの田舎、面白いです。

-
エリ

建築・インテリア設計
大阪府出身、東京工業大学建築学専攻修了。インドネシアに4年滞在し、地震被災地での研究調査、バリ島でのホテルデベロッパーでの就職、日系NGOでプロジェクトコーディネーターを経験。現在帰国し大阪在住。
2020年ReASIAを共同設立し、現在代表を務める。

FOLLOW FOLLOW FOLLOW
ERI JAPANESE
SHARE SHARE SHARE
FOLLOW FOLLOW FOLLOW
タイトルとURLをコピーしました