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台湾の紅露(クール)染めのこと
台湾・台南芸術大学の修士課程に在籍し 染色作品を制作している山中彩が、台湾で用いられている染色技術や素材について、工房に足を運んだり、文献を調べたり、実際に自分で手を動かしてみて知ったこと・考えたことについてレポートしていくシリーズです。
ある日、友人が「屏東(台湾の南部)の原住民から薯榔が安く手に入ったけど、分けてあげようか?」と声をかけてくれた。

牛肉のような赤色が鮮やかなこの植物は沖縄ではクール(紅露)あるいは「ソメノイモ」と呼ばれ、台湾では薯榔(シュゥラン)と呼ばれる。学名は「Dio scorea matsudai hayata」(日本人が命名したのだろうか?)

クールは台湾と沖縄の他には、中国南方、ベトナム、マレーシア、東インド諸島などに分布するイモ科の植物で、薬用に用いられることもある。
私がクールの染めを初めて体験したのは、2019年の夏こと。大学院のプログラムの一貫で、台湾東部の花蓮県にある陳淑燕さんの染織工房 光織屋-巴特虹岸手作坊に一週間ほど滞在してワークショップに参加した。目の前に海が見える工房で、クールをしりしりして布や糸を煮染めしたあと海辺で泥に埋めて媒染したり、クールを細かく切ったあとミキサーで粉砕し布でこして汁を絞り出し、その生汁で布に直接筆描きするなどした。

その後、2020年の3月に台湾南部の屏東県のルカイ族の舊好茶部落の山頂にすむ原住民を訪ねてトレッキングをする機会があった。そこで出会った原住民の話や 彼らの生活様式や建築がとても興味深く、台湾に来て3年目にしてようやく台湾原住民の染織、おもにかつてどのような植物の染料で染めていたということが気になりだした私は、この旅のあとこれまでの制作方針を大きく変えることになる。




旅から戻り、大学の図書館で調べていると柳宗悦氏を師として民芸運動に関わっていた岡本吉右衛門氏が台湾原住民の染織研究に広く貢献しており、多くの著書を残していた。彼の日本語の文献や図録が台南芸術大学の図書館で読めるということは、私にとって非常に大きな助けとなった。
今回訪ねた屏東に住む原住民・ルカイ族の民族衣装の写真資料が少ないことを残念に思ったが、彼らは死者を埋葬する際に故人の衣服も共に葬るしきたりがあるとのことであった。

台湾の原住民族は政府に認定されているもので16種の民族がいるが、上記の原住民の草木染めの分布図を見るとそのほとんどの地域で「薯榔」つまり、紅露(クール)が使われてきたことがわかる。
伝統的な方法は煮染めではなく「冷染」で、鮮度の高いクールを臼ですりつぶし、抽出された生汁で主に苧麻の繊維を染める。染めた糸は泥に埋めるなど鉄媒染して黒色に染め、藍で染めた青色の糸やウコンの黄色い糸とかけあわせて伝統的な民族衣装が織られてきた。この染色法は、現在でも使用されている。
クールにも柿渋と同じく「渋」の要素であるタンニン酸・膠成分が豊富に含まれる。繊維をコーティングし海水による防腐作用があるため、かねてより漁業用の網、網縄、帆などの補強のために染められてきた。日光堅牢度が強く、むしろ日光の紫外線により発色する作用がある。
台湾の植物染料研究の第一人者である陳景林・馬毓秀ご夫妻の共同著書である「台湾天然染色事典/大地之華」によると、原住民族に限らず、大陸から移住してきた漢民族にも愛用された染め方であったという記述がある。
50~60年以上前の台湾の富裕階層の漢民族の家庭の男・女主人は数着の「黑綢」の衣服を持っており、それらは2月の旧正月の際、あるいは親戚を尋ねる際の礼服として用いられたとある。この「黑綢」とは高級なシルクの布地で仕立てられ、一面は紅露本来の紫紅〜橙色がかったような色、もう一面は鉄媒染で黒く染めた色であったという。(お洒落〜!)
さて、話がそれたが友人がくれた屏東で採れたクールを使って綿布や麻布を染めてみた。

「媒染」とは天然の染料を用いた染色の過程において、色素を繊維に定着させる工程のことで、この工程を経ることにより色の安定度・発色が高まったり、色味を変化させることができる。
今回のクール染めでは、媒染剤はどの布も石灰を使用したが、粉を溶いた液をそのまま溶いたのがおそらく発色と質感に良くない影響を及ぼしたように思う…石灰は必ず上澄み液を使い、Phが12ほどになったものを媒染液として用いるのが良さそうだ。昔から言われている方法には理由があるのだなと痛感する。

柿渋との相性も良さそうである。柿渋本来の茶色が紅露の赤紫色とかけ合わさり、焦げ茶色のような渋い色味に変化した。
錆染めは摩擦に弱く、こすると手や服に錆が移ってしまうという欠点さえ改善できれば今後より面白い展開が期待できる。突破口は見出せそうな予感がしているが、まだまだこれからである。